卵巣嚢腫 腹腔鏡手術 体験談

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今から3年前の2022年5月、両側卵巣嚢腫摘出のため、腹腔鏡下手術を経験しました。生まれてこの方、一度も手術・入院などしたことがなかったので、不安が大きかったのを覚えています。女性だと10人に一人は卵巣が腫れていると言われるほど、割とポピュラーな疾患です。私の場合は、両側の卵巣が腫れていて(左9センチ、右6センチ)、表皮、皮脂、髪の毛や歯、骨などを含んだ成熟嚢胞性奇形腫(皮様嚢腫)でした。多くは良性で癌化することは少ないようですが、高齢になってから判明する場合、まれに悪性転化する場合があるようです。その時の体験談を綴ります。同じように卵巣嚢腫があると言われ、不安に駆られている方がいたら、少しでもこのブログが参考になれば幸いです。

01.卵巣嚢腫発覚の経緯

02.卵巣嚢腫手術に至るまでの準備

03.卵巣嚢腫 腹腔鏡手術入院から手術前まで

04.卵巣嚢腫手術から術後の回復について

05.入院中に持参して良かったもの

06.入院して変わった考え方

01.卵巣嚢腫発覚の経緯

卵巣嚢腫と発覚したのは2022年の3月のこと。その一年前の2021年に結婚し、早めに子どもを授かりたいと思っていました。入籍前に受けた子宮頸がんの検診の際、『卵巣が腫れてるかな?』と医師に言われたのが始まりです。次回結果を聞く際に、再度見せて欲しいと言われたのですが、生理中だったのとその後すぐ引っ越す予定だったのとで、引越し先の婦人科で診てもらうことに。引っ越し後、口コミの良かった町医者のような雰囲気の病院に早速行ったのです。


『生理前は通常より卵巣が大きくなるから腫れているかどうかの判断がつきにくい。生理後にまた来て』と言われ、3ヶ月ほどちょうど良いタイミングで診てもらったのですが、結果、腫れはなく、問題ないとの診断でした。
なんだ、心配して損した~と思いながら、その病院への通院は終わり、自分たち夫婦なりに、排卵のタイミングで妊活に励むことに。しかし、数ヶ月経っても、いつも通りに生理が来る日々…
仕事のストレスもあったし、なにか妊娠しづらい原因があれば、早いうちに調べて対処しないとなと思い、別の婦人科を受診することにしました。


そこはサバサバした女医さんで、不妊症検査をしたいとお願いすると、検査をして何も問題がなくても、妊娠しない人もいるし、逆に問題があっても妊娠する人もいるので、この検査で妊娠できるできないがわかるわけではない、と説明を受けました。それでもお願いしたいと言い、一通りの検査を始めることに。すると超音波検査で、早速卵巣が腫れているとの指摘が。引越し前に行った婦人科でも同じこと言われたなぁ、でも町医者の婦人科では大丈夫と言われたけどな、、と不安がよぎりました。すぐにMRIができる病院を紹介され、1週間後に予約を取り、検査をする運びとなりました。


数日後、検査結果を聞いてびっくり。思ったより腫れてたね、しかも両側。わたしの卵巣は、左9センチ、右6センチというなかなかの腫れ。さらに、『おそらく卵巣の腫れが原因だと思うけど、右の卵管が詰まってる(右卵管留水腫)』との指摘も。これだけ腫れてると、妊活の前に手術で腫れの中身を摘出しないと、最悪の場合、茎捻転(腫瘍の根本が捻じれること)を起こして、卵巣摘出もあり得る、と。恐ろしいことを言われ、まさか自分がこんなことになってるとは、、と頭が真っ白になったのを覚えています。ただ、珍しい病気ではないし、比較的年齢が若いうちの卵巣嚢腫は、良性の可能性が高く、手術も難しいものではないとのこと。この病気の場合は、腹腔鏡下手術といって、お腹に数箇所穴を開けるだけで大きな傷が残らないものであることも説明してくれました。手術が可能な近場の病院を紹介されましたが、夫の知り合いが勤めている某大学病院にて、手術をすることになったのです。

もし結婚してなかったら、子どもを望んでいなかったら、、この病気に気が付かなかったかもしれない自覚症状もなかったし、結婚してなければ、高齢になってから、もしかしたら癌になっていたかもしれない。健康体だと思っていた自分がまさか手術になるとは…と発覚した当初はショックも大きかったけれど、早いうちに判明して本当に良かったと、少し冷静になってからはどちらかと言えば前向きな自分がいました。

02.卵巣嚢腫手術に至るまでの準備


手術が必要と判明してから、早速旦那経由で某大学病院の知人に連絡してもらい、手術日を決めることになりました。1ヶ月後くらいにできるかと思いきや、大学病院だけに予約が埋まってるようで、結局2ヶ月先になったのです。

私の場合、手術までに必要な準備は以下の4つでした。

①仕事の引継ぎ

②限度額適用認定証の取得、任意保険の対象範囲の確認

③入院に必要なものの準備

➃事前の健康診断等(血液検査等多項目)

①仕事の引継ぎ

手術までにやらねばならないこととして、真っ先に仕事のことが頭をよぎりました。入院から術後の回復まで、3週間程度は休んだ方が良いと担当医に言われたので、その間の私の仕事を別の方に任せる必要がありました。普段からルーティン業務をパートさんにレクチャーしていたので、一から引き継がなくてはならないというわけではなかったのが唯一の救いでした。7割は教えていたので、残りの3割くらいを整えて、渡さねば。そう考えると、2ヶ月先くらい余裕があって良かったのかもしれません。

休み期間中、私の仕事用のスマホは上司が持っていてくれました。3週間休むことは関係者に共有するが、万が一連絡がいってしまって治療に専念できないと困るだろうとの配慮からでした。おかげで、仕事のことは忘れて3週間ゆっくり休むことができました。引継ぎは手順書をそろえたりと手間がかかりましたが、自分の負担が軽くなって、良い機会となりました。普段から自分で仕事を抱え込みやすいタイプだったので、この病気に気が付けたお陰で、周りに頼ることができるようになりました。

②限度額適用認定証の取得、任意保険の対象範囲の確認

手術が高額医療にあたるため、高額医療費の申請を事前にしておく必要がありました。事前に申請して限度額適用認定証を取得しておくと、窓口払いが自己負担分のみになるものです。事前に申請していないと、後日払い戻されるといっても、一時的に全額支払う必要があるため、時間に余裕があれば、事前に申請されることをお勧めします。私の場合、職場の健康保険は協会けんぽだったので、協会けんぽのホームページから、どのような申請が必要か確認し、必要な書類を出力して郵送しました。職場の人事部に頼んで申請することもできるようでしたが、面倒をかけるのもなぁと思ったのと、手術することが知られてしまうのもなんとなく嫌だったので、人事部を介さずに自分で申請を進めました。思ったより簡単に手元に届き、退院の会計時に持参し、窓口支払い額は数万円で済みました

また、独自に医療保険に加入していたので、今回の入院・手術が対象になるのかも併せて調べました。運よく婦人科系の手術は対象となるとのことで、術前に保険会社に連絡をし、必要な書類を確認しました。基本事項を記載するものと、退院時にもらえる明細等が必要とのことで、事前に確認しておいたお陰で、術後漏れなく申請&保険料を受理できました。

③入院に必要なものの準備

入院にあたって必要なものは、事前に病院から説明を受けていましたが、手術前後で時間を持て余すこともあるのかなと思い、別途でワイヤレスイヤホンや本、絵を描くためのスケッチブックなどを用意しました。
このワイヤレスイヤホンは、この後の『05.入院中に持参して良かったもの』の中で詳しく説明しますが、もし私と同じように入院される方は、かさばるものではないし、持っていくことをオススメします。

➃手術の説明と入院前検査等(血液検査等多項目)

手術の1か月ほど前に、詳細の説明を3つ受けました。一つは腹腔鏡下手術についての手順やリスク、二つ目は手術中に大量出血した場合の輸血について、最後に全身麻酔についてでした。どれも、わずかな確率で命に係わるようなリスクがあるとのことで、急に怖くなりましたが、基本的には問題なく進むとのことで、プロの言葉を信じて頑張るしかないなと決意を固めました。また、手術に耐えられる体かどうかを診るため、血液検査含む多項目の検査を受けました。これは大学病院だったからなのか、他の病院でも同じなのかはわかりませんが、半日以上かかったので、その日は仕事を一日休みました。また、当時はコロナ全盛期だったため、入院前日にPCR検査を受ける必要がありました。ちなみにここで受けたPCR検査は、よくある鼻に綿棒入れてグリグリするタイプのものでしたが、過去一痛いグリグリだったことは今も記憶に残っています。注射はなんのことないけれど、このグリグリが嫌いな私にとっては、地味に辛いものでした。

03.卵巣嚢腫 腹腔鏡手術入院から手術前まで

無事に仕事の引継ぎも終わり、ドキドキしながら入院当日を迎えました。不安もありましたが、3週間という長いお休みは久々だったので、これからの人生を見直すいい機会だなと前向きな気持ちでした。

私が入院する病棟は婦人科系だったので、患者さんはみんな女性。お部屋は事前に決めなくてはならなかったので、個室が良いなとは思いましたが、差額ベッド代の金額に驚き、3人部屋を選択しました。ロビーで待っていると、看護師さんが明るく出迎えてくれ、部屋まで案内&お部屋と病棟の簡単な説明をしてくれました。とりあえず手術は翌日の午後以降なので、今日は少しのんびり過ごせるかな、とここではまだ余裕のあった私。お部屋は運よく窓際だったので、外を眺めることもできました。

術前だったので、食事も普通食。大きい大学病院なので、クオリティは高くなかったですが、おいしくいただきました。合間に本を読んだり、ワイヤレスイヤフォンで過去のドラマを見まくりました。また、看護師さんやドクターがいろいろな説明などで顔を出してくれるので、寂しさもなく、快適に過ごせました。

病院なので、夜の9時には消灯というルール。まったく眠くなかった私は、引き続きワイヤレスイヤフォンを耳に装着し、FODの1か月お試し利用で、大好きな恋愛ものドラマをドラマを見まくったのでした。夜中の0時過ぎにようやく眠りにつくことができました。

翌朝は6時起き。こんなに規則正しい生活は久々だったので新鮮でした。朝起きたら、血圧を測りに病棟の廊下へ。相変わらずの低血圧。。

手術当日の食事はおかゆに具なし汁物、ヨーグルトやジュースなど。そしてお腹の老廃物を出しておく必要があるため、下剤を飲み始めました。同じ手術をした方の体験談から、かなりお腹痛くて辛いという情報を仕入れていたため、結構ビビっていた私。しかし結果は大した量は出ず、お腹もちょっと痛いくらいで、本当に出切ったの??と半信半疑でした。看護師さん曰く、それなりに出れば問題ないとのことで、さらっとクリアしたのでした。

そしていよいよ手術1時間前というところで、点滴開始。普段から血管が薄く、うまく通らずに何度も失敗されてしまいました。4回目くらいでようやく通ったのですが、いままでの注射で一番痛かったし、あざのような跡が残りました。『前の手術が押しているので、予定では午後2時スタートだけど、もしかしたら3時ころになるかもしれない』と言われ、いよいよ緊張してきた私。でも待ち時間は本を読んだり、旦那や家族にLINEしたりして、極力リラックスできるよう努めました。

『お待たせしました、時間です』。そう呼ばれたのは午後2時半。手術室までの道中、看護師さんが不安を和らげようと話しかけてくれました。看護師さんって本当に”白衣の天使”だなあと、この入院で何度思ったことか。手術室の前室に着くと、毎回、自分の名前と生年月日を確認されました。何重にもチェックをしているのだと思いましたが、こんなに短期間で自分の名前を連呼する経験は、この先にも前にもきっとないだろうなと思いました。

いろいろなチェックが終わり、ようやく手術室へ。そこは、ドラマで見る以上に迫力のある、だだっ広い冷えた空間でした。部屋には大きなスクリーンがあり、そこにはMRIで撮った私の腫れた両側卵巣の写真が写っていました。医者や看護師もたくさんいて、なにか事前の打ち合わせをしているようでした。圧倒されているのもつかの間、『じゃあベッドにこちらを頭にして座ってください』と言われ、横たわるとすぐに、『では、麻酔を入れて行きますね、だんだんボーッとしてきてすぐに眠りにつきますよ』。言われた通り、5秒後に視界が急にボーッとなり、その後の記憶はありません。次に目覚めた時には、もう手術の後でした。

04.卵巣嚢腫手術から術後の回復まで

『○○さん、終わりましたよ』そう言われて、ゆっくりと目を開けると、手術が終わっていました。『気持ち悪くないですか?痛みはどうですか?』と聞かれ、『…生理痛の10倍痛いです、、クラクラしてちょっと気持ち悪いです』と答える私。『そしたら、痛み止めと吐き気止めを追加しますね』。薬で少し楽になると、急に寒気でガクガクして来ました。部屋の温度は割と低かったような気がしますが、お腹にメスが入ったことへの恐怖からなのか、震えが止まらなくなりました。布団を追加でかけてもらい、ちょっと落ち着いたところで寝そべったベッドごと、部屋まで移動しました。

手術は無事に終わりましたが、予定より長引き、3時間半ほどかかったようです。終わってすぐに医師から旦那に連絡が行き、旦那からお互いの両親に連絡してくれたようです。

術後すぐは、痛み止めや吐き気止め注入のための点滴と、尿管に管が繋がれていました。足には、エコノミークラス症候群の予防のため、マッサージ機みたいなものが付けられていました。これは事前に説明があったので、イメージはできていましたが、予想以上に尿管が管で繋がれているのが不快でした。足のマッサージ機はそこまで違和感なく着けていられました。術後はしばらくは38度前後の発熱があり、2時間おきくらいに看護師さんが様子を見にきて、血圧と体温を測ってくれました。痛み止めと吐き気止めを常に入れていてくれたので、痛みや気持ち悪さはさほど感じず、発熱の怠さと全身麻酔後のボーッとする感じだけでした。この日は翌朝までずっと寝たきりでした。

翌朝から全粥食と言われる食事がはじまりました。とりあえず体を起こさねば…とにかくいろんなものに繋がれていて、動きにくいしとっても不快。。私の場合は、手術箇所の痛みよりも麻酔の副作用である気持ち悪さが一番辛く感じました。電動ベットで体を起き上がらせ、食事を食べようとしても、気持ち悪くてお粥をほんの少ししか食べられませんでした。食事は流動食みたいなものかと思いきや、主食のお粥以外は、結構しっかりした主菜と副菜が付いていました。こんなに食欲がないのはいつぶりだろう…食べることが大好きな私も、この時は全く食べる意欲が湧きませんでした。

術後は寝たきりだと手術した箇所が癒着してしまう可能性があるようで、なるべく早く立って歩く練習をしなくてはなりませんでした。食事を終えると、看護師さんの援助の下、立って歩く練習が始まりました。立つ前に血圧を測って、問題なければ立ち上がり、歩く前に再び血圧を測って、、と血圧次第では歩くのは危険と判断されるようです。立ち上がることはできたのですが、血圧を測っている間に気持ち悪くなってしまい、『すみません、気持ち悪くて歩けないです…』と言うと、『無理しなくて大丈夫ですよ。そしたらまた時間をおいてチャレンジしましょう』と一旦中断。再びベッドに横たわるのでした。

少しすると、担当のドクターに呼ばれて、車いすで相談室へ。下から超音波で卵巣の状態を診るのと、昨日の手術の結果を説明してくれました。この時はまだ気持ち悪さとだるさがピークだったので、車いすで移動するだけでもしんどく、先生が説明してくれたことは7割くらい入ってきませんでした。記憶にあるのは、手術で取り除いた腫瘍の写真がなんともグロテスクであったということ。髪の毛や爪、皮脂などがつまっていたようです。

説明が終わると再びベットに戻り、すぐに眠りにつきました。気が付くとあっという間に昼食の時間に。もちろん気持ち悪さ継続中で、今回もお粥を頑張っても半分しか食べられずでした。食後に再び歩く練習をと看護師さんが来てくれたのですが、立ち上がるとまた気持ち悪くなって歩くことができませんでした。今回は座った途端に吐き気を催し、少量のお粥を嘔吐。人によって個人差があると思いますが、痛くて歩けないものだと思っていたので、まさか痛みより吐き気が勝るとは。。でも、ずっと歩かないわけにもいかず、1時間後くらいに3度目の挑戦。今度は気持ち悪さが少し緩和されていて、なんとか病室からナースステーション手前まで歩くことができました。ここまで歩ければ、病室にあるトイレまで自分で歩けると判断され、ようやく尿管に繋がれた管を抜ける段階に来ました。抜く瞬間、ちょっと違和感がありましたが、丁寧にやっていただいたおかげで、痛みはほぼありませんでした。尿管の管が抜けると、一気に動きやすくなり、なんとなく体調も良くなっていきました。トイレにもヨタヨタしながらですが行けるようになり、自分の意思で動けるのってサイコー!と今まで当たり前と思っていたことがありがたいことだったのだと気付きました。『体調がいいときに、なるべく歩く練習をしてくださいね』と言われていたので、この日は病室から出て病棟の廊下を2回ほど往復しました。

尿管の管は取れましたが、点滴はまだ継続中でした。取り付けた点滴パックがなくなると、追加のものをもってきて繋ごうとしてくれたのですが、なぜか点滴が入っていかない…。対応してくれた看護師さんは新人さんっぽく、新たに取り付けた点滴が入っていかないことに戸惑って、少々テンパり気味に…。そんな姿にこちらも不安に駆られてしまう。『少しお待ちください』と数十分ほど待たされて、ようやく先輩らしき人が登場。再度つなごうとしてくれましたが、その先輩でもうまくいかず。結局、少しでも昼ご飯を食べられているから、点滴なしでも大丈夫でしょうと言われ、このタイミングで点滴も外すことに。え、本当に大丈夫なの?!と半信半疑でしたが、点滴が外れるとさらに動きやすくなり、より快適になりました。結果オーライでしたが、繋ぐときも外すときも、点滴にはことごとく嫌われる私なのでした( ;∀;)

術後1日目までは、シャワーを浴びることができないので、この日は看護師さんが体を拭いてくれました。そして、晩御飯は完食はできなかったものの、お粥だけでなく、主食、副菜も半分ほど食べることができました。

夕方の決まった時間は院内にある売店に買い物に行けるとのことで、術後2日目からは、歩く練習も兼ねて大好きな梅干し系のおやつを買いに出かけました。病棟内を歩くよりも、気分転換になって楽しかったです。

入院中は、朝昼晩の体温測定に加え、排尿・排便の回数を記録する必要がありました。痛み止め・解熱のためのロキソニンを常に飲んでいたので、熱が上がってもロキソニンで一旦治まるのを繰り返していました。術後はしばらく発熱が続くようでしたが、私の場合は術後4日目になっても、薬が切れてくると38.0度手前くらいの熱が出ていたので、ドクターや看護師さんが心配して、途中から抗生物質を追加で飲むことになりました。退院前日には、抗生物質のおかげで熱もだいぶ治まりました。

また、毎日血液検査がありました。術後、貧血が悪化していて、術前は基準値内だったのに対し、術後は日を追うごとに、ヘモグロビンの値が8.3→7.7→7.5と減っていきました。術後はロキソニンに加えて鉄剤も処方され、退院前日には8.1と少しだけ改善されました。もともと貧血持ちだったので、体調的にはそこまで違和感はありませんでしたが、10を下回るのは初めてのことでした。

多少の貧血は残るものの、熱も下がり、予定通り入院から7日目に無事退院することができました。会計の際は、事前に取得していた限度額適用認定証のおかげで、窓口支払いは差額ベッド代等の数万円で済みました

また、先の項目でも述べましたが、私の場合は医療保険に加入していたため、そこからもいくらか保険金が下りました。こちらも事前に申請が必要で、書類を取り寄せ必要事項を記入し、術後にもらった明細等をつけて郵送。結果、持ち出し金よりも少し多く保険金が入ったため、トータルでは得したことになりました。保険に入っても、掛け捨てなので結果損するんだろうなと思っていましたが、こんなところでプラスになるとはと、ちょっと得した気分になりました。

退院から3週間後に定期検査があり、術後の経過を診ていただきました。貧血に関しては、基準値に若干届かないものの、許容範囲のところまで回復していました。卵巣の状態も問題ないとのことで一安心。手術箇所の痛みはほぼ気にならず、体力も少し戻ってきたころでした。個人差はありますが、術後3週間すれば、徐々に通常の生活に戻していけるかと思います。

05.入院中に持参して良かったもの

入院中に持参して良かったと思うものは、延長コードとワイヤレスイヤフォンです。

・延長コード

特に術後は体が自由に動かせないので、スマフォを見たくてもいったん起き上がらなくてはならなかったりします。延長コードがあれば、充電しながらでも、自分のそばにスマフォを置いておけるので、気を紛らわせることができました。

・ワイヤレスイヤフォン

これは本当に持って行ってよかったと思います。先の項目でも少し触れましたが、術前の時間がある時や術後体調が回復してきたときに大活躍しました。院内は消灯が早く、なかなか眠れない時に、このワイヤレスイヤフォンを使って、過去のドラマを見まくりました。暗い中なので多少目には良くないでしょうが。。私は3人部屋だったので、同室の他の患者さんの音も結構聞こえてきたので、ワイヤレスイヤフォンでドラマを見ることで、その音もあまり気にならなかったです。ただ、1名術後の状態があまり良くない方もいらっしゃり、その方の辛そうな声や、代わる代わる複数の医師が来て、処置をしていた時の音は聞こえてきました。少しはイヤフォンで紛れたものの、特に夜中は気になって、ドラマに集中できない時もありました。

個室を選択した方で、お化けが怖くて眠れないといった悩みも、このワイヤレスイヤフォンでいくらか紛らわすことができるかと思います。

06.入院して変わった考え方

今回の手術をしたことで、今までの自分を見直す良い機会となりました。根性だけが取り柄だった私。でもその頑張りは意味のないものだとわかりました。自分の心に噓をついて生きていたのだと思います。

思い返せば新卒から12年以上、なかなかのオーバーワークで働いてきた私。と言っても世間でいうキャリアウーマンというわけではありませんでした。仕事ができる方ではなかったし、容量も悪いため、残業は当たり前。まだ2,3年目くらいの若手時代は、休日出勤や終電で帰ることも…。

30歳にさしかかった繁忙期、体力的にも精神的にも追い詰められて、1か月ほど休んがことがありました。職場に行くことも、仕事関係の電話に出ることも辛くなってしまったのです。もし病院に行っていたら、何かしらの診断はついていたかもしれません。その時仕事を辞めようかとても悩みました。でも他にやりたいこともないし、中途半端な状態で辞めることは、今後の自分に良い影響はないだろうと思い、なんとか復帰。職場の方たちの優しいフォローのおかげもあって、徐々に以前と同じように仕事ができるようになりました。その一件から、一時的には残業も減り、少し働きやすくなったように思います。

数年経って、相変わらず仕事はバタバタしていたし、人間関係も最悪だった時期もありました。しかしその後も仕事を辞めるという考えはなく、33歳の時に結婚。早く子どもを授かって、育休を取りたいという想いでやってきましたが、先にも述べたように、スムーズにはいきませんでした。いろいろ調べていく中で卵巣嚢腫があることがわかり、私の中では真っ先に、”仕事のし過ぎ”が原因かな…という思いがめぐりました。この病気の場合は、『体質でありストレスとの因果関係はない』と言われていたのですが、私は”仕事のストレスが原因”と決めつけてしまっていたのです。手術の準備をする中で、医者にはこうも言われていました。『子どもが欲しいなら、術後1,2年のうちに産んだ方が良い。のんびり自然妊娠を待つより、不妊治療をしてもいいくらい』と。私の卵巣嚢腫の種類は、癌化する可能性は低いものの、体質的に腫れやすい人は、一度手術をしても再発の可能性があるようでした。卵巣も一度だけでなく二度メスを入れてしまうと、機能が低下して、より妊娠しにくくなってしまうというのです。これを聞いた時、私の中では、”仕事を辞める”という選択肢と、”辞めないけれど正社員からパートになって負担を減らす”という選択肢が浮かびました。辞めてしまったら育休を取ることができない。せっかく頑張って12年も続けてきたのだから、育休だけでも…という欲がありました。でも、果たしてパートになったからといって負担は減るのだろうか。。長く働いてきた分、結局同じような仕事を求められるのでは…そして気の合わない上司に駒遣いされて、余計にストレスが溜まるのでは…。もともと0か100の性格な私は、思い切って”退職”することを選びました。とても悩みましたが、この決断までには、占いにも頼りました。占いで得た”目に見える対価を選ぶことで、自分が一番大切にしたいと思っているものを失う可能性がある”というメッセージは、私の背中を押してくれました。私が今一番大切にしたいことは何か?仕事でもなくお金でもなく、子どもを授かることでした。私はこうも思いました。なぜ病気になったのだろう…?もしかしたら神様が、”あなたはもう十分頑張ってきた。これからは自分が幸せになる道を選んでいい”と言ってくれたのかな、と。

今思うと、すぐに卵巣の腫れを指摘してくれた婦人科の女医さんには本当に感謝です。あの時婦人科を変えて本当に良かったと思います。口コミだとその女医さんは、サバサバとしていて冷たい印象であるというあまりいい内容が書かれていなかったのですが、口コミが良いからといって病気を見抜ける腕があるかどうかはわかりません。以前通っていた町医者は、感じはとても良かったものの、卵巣の腫れを指摘してもらえませんでした。不安が残るようなら、病院を変えるなり、セカンドオピニオンを頼ってみることも必要だと、自分の経験から強くお勧めします。
なかなか気が付きにくい婦人科系の病気。一般的な健康診断を毎年受けていても、オプションをつけない限りわからないのです。女性の皆さんには是非、一度婦人科を受診していただきたいです。子宮頸がんの検診の時についでに診てもらうのでもいいので、私のように、”自分は大丈夫だろう”とは思わないで欲しいなと思います。

この病気になったことで、私は大切なことに気が付けたと思っています。この”辞める”という決断のおかげで、私は数か月後、子どもを授かることができました。気持ち的に楽になったのが大きいと思います。もちろん私の収入は0になりましたが、今でも仕事を辞めたことは後悔していないし、仕事を辞めていなかったら、子どもを授かれていなかったかもしれません。もちろん仕事を続けていた方が経済的に潤っていたと思いますが、それ以上の大切なものを得られました。

あくまでもこれは私の考え方なので、人それぞれに正解があると思います。病気になって気を落とされている方もいるかと思いますが、これは神様がくれた、”今後の人生を考えるいい機会”だと思って、今までの自分とこれからの自分を見直してみてください。きっとなにか違う世界が見えてくるのではないでしょうか***

***追伸***

つらつらとまとまりのない長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!このブログは、病気、手術を経て、出産、育児を経験した筆者が、同じ境遇で悩んでいる方に少しでも役に立つ情報を発信できたらなという想いで始めました。是非、次回以降も見ていただけたら嬉しいです☆

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